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「依存症なんじゃない?」 ※ 練習後のクールダウンがすんで選手たちはそれぞれ帰路に付く。天城もグラウンドを一人立ち去りかけていた。 「依存症なんじゃない?」 「何の話だ?」 足を止めて振り返った。 「最近の君の不調の話」 杉原が答えた。 「お前には関係の無い話だ」 「パサーが多いからね、このチームの二列目。フォワードが点を取ってくれないと困るんだ――特に僕は」 前を素通りする天城の横に並んで杉原も歩き出した。天城は隣を一瞥したが何も言わない。 二人並んでグランドの門を抜ける、秋の早い暮れ方の中、天城のほうは口を閉ざしてただ前を見て歩く。杉原は続けた。 「郭はチーム内に駒が多い。同じクラブの真田に若菜。藤代くんもナショナル選抜で一緒だし。水野くんは前でポールを持てるキープカがある。生粋のパサーは僕一人かな」 「で、お前のために俺が駒になれってか?」 鋭い目が嘲るように温和な糸目を見下ろした。けれど杉原の顔に動揺はない。 「逆でもいいんじゃないかな」 天城が横目でその意を問う。 「キミみたいに自分で点を取りに行くタイプは、郭や水野くんみたいにフォワードを動かすパサーとはやりにくいんじゃない?僕がいいボールを回せるのは選抜合宿の紅白戦で分かってるよね」 一見穏やかな両目に辛辣な光が宿ることを天城は知っている。杉原が秘めた意志を垣問見せる瞬問。 例えば紅白戦、練習試合。そして… 「誰が…」 「ん?」 「誰が『依存症』だって?」 「ああ、そのことか」 例えばそして、今のようなとき。 「君が、カザくんに」 反駁しようとした天城の鋭い眼差しが、言い逃れを許さない厳しい両目に出会う。 「そうだよね?」 追い討ちを掛ける杉原の言葉に、天城は唇をかむ。 「鳴海くんも君と似たタイプのフォワードだけど、本当は正反対だ。君は…」 頭一つ小さい華薯な少年に、天城は口を閉ざされた。 「一人じゃ何もできない」 「元気なさそうだね」 「そ、そうかな」 杉原が声を掛けると風祭は顔を上げた。 「何か心配事?」 「いや、何でもないけど…」 あわてて否定し無理して笑顔を作ると、風祭は身体を動かし始めた。 柵の向こうで不破と小岩がフットサルのボールを追っている。 「そう、ならいいけど」 心配そうな顔を杉原はしてみせた。 「カザくんも調子悪いのかなって思って」 「僕も?」 敏感に風祭が反応した。 「うん、ほら、天城もさ、最近…」 杉原はそこで思わしげに言葉を切る。風祭は続きを待つが杉原は黙っておいた。風祭は二度口を開きかけて閉じる。三度目にようやく声に出した。 「天城、最近何て言うか…動きに精彩が無いよね」 「うん」 杉原は素っ気無く答えた。物足りなくて風祭は言葉を継ぐ。 「何て言うか、何か迷ってるみたいって言うか」 「へえ」 杉原は振り向いた。 「よく見てるね。カザくん、天城と仲いいんだ」 「仲いいっていうか…」 風祭が顔を赤らめてうつむく。 「…目標にしてるし」 「だったら」 杉原が風祭の顔をのぞき込む。 「聞いてみれば?何か――悩みでもあるのか」 風祭の顔が曇る。 「でもこの頃…」 「この頃?どうかしたの?」 言い難そうな風祭に水を向ける、思っている通りの答えが、返ってくるかどうか。 「この頃天城に避けられてるみたいな気がして…」 言い掛けて風祭は苦笑いした、「な、何か意識しすぎだよね、天城からすれば別に僕はただの」 「そうでもないんじゃない?」 聞きたい言葉を与える。 「天城、国分二中から一人だけ選出だしね。それにチーム内でも孤立気味だし。カザくんがいるお陰で天城、ずいぷん楽になってると思うよ」 「そ、そんなことないと思うけど…」 それでも風祭の表情は明るくなった、杉原は笑って言った。 「相談に乗ってあげれば?」 「…うん」 吹っ切れたように風祭がうなずいた。 「そうする。ありがとう、杉原くん」 「おい、次はお前らの番だぞ」 コートから出て来ていた不破が二人に声を掛けた。 「天城!」 一番来て欲しくて、一番来て欲しくない相手に呼びかけられる。無視するわけにもいかない。天城は振り返った。 「何だ?」 「あ、あの、さ」 戸惑う風祭の表情に、自分の顔の険しさを知る。天城は目を逸らし、気付かれないように小さな深呼吸をした。 「何だ?」 少しは険が取れただろうか?もう一度風祭に問いかける。 「一緒に帰ろう」 気持ちを決めて風祭が誘う。一度口にしてしまえば気が楽なのか、風祭の目は落ち着いて温かかった。 風祭は自分を怖れても拒絶することはない。自分に居場所を与えてくれみだろう。 ――依存症なんじゃない? (近寄るなよ) 口走りそうになって呑み込む。許容してくれると分かっている相手への反発が、きっと何よりの依存の在り方なのだろう。 喪って分かった、喪うまで分からなかった。 「いや」 できる限り穏やかに答えようと声を絞る。 「悪いが一人で帰る…悪いな」 風祭の顔に落胆が見えたが、彼は懸命にそれを隠し笑顔を作る。 「そう…じゃあ、また今度」 風祭が手を振って踵を返す。後ろ向きのまま遠ざかる。 何が依存で何が依存でないのか。それを考えざるを得ないところで既に―― 「カザくん一人?」 杉原たちが風祭に声を掛けるのが見えた。杉原と小岩、それに飛葉中の三人。 「暇なら遊んで帰ろうぜ、将」 「暇って訳じゃあ」 あわてて風祭が否定する。 「へえ、何か用事あんの?」 椎名が聞いた。 「えーと…練習…」 「だから遊んで帰ろうって言ってんだろ?」 「フットサルやってこうって話してたんだよ」 黒川が椎名を補う。 「あ、行く!行きます!」 風祭は急いで答えた。 六人が今日の練習のこと、次の練習試合のこと、サッカーとは関係の無いことで賑やかに会話を交わしている。 あれはきっと依存とは違うんだろう。 きっと友情とか。 ――信頼とか。 (そうか) 天城は思う。それは相互的な関係性の在り方で。お互いが与え合うもので。 「一人」に拘わっていた自分には築けないもの。自分が頑なに否定し続けてきたもの。 (『苦しいときに他人に頼るのは弱い人間のすることだ』) 自分は自分の弱ささえ認め切れなかった。 (なら今更…) 天城は、ずっと前に自分がポタンを掛け違えたことを知る。固く絡まったポタン。 (だったら) 自分は行かなくては。もう一度ゼロから始めるために。 ――自分の血の、片方の故郷。 「カザくん?カザくん!」 杉原の声で目を覚ます。選抜の練習の後にフットサルでゲーム。適当に交代していた杉原や椎名達と違って風祭と小岩はずっと出突っ張りだったのだ。揺れる電車の中で二人は気持ち良く熟睡していた。 「ほら、小岩くんも!」 「おお、もう水道橋かよ」 小岩は目を覚ますと席を立った、電車が速度を落とす。 「おう、じゃあな、風祭」 眠たげな目を瞬かせ、小岩がドアの前に立つ。 「うん、じゃあまたね……小岩くん…杉原くん……」 風祭はすでに再び瞼が落ちかけていた。乗り過ごすのは目に見えている。見兼ねて杉原が小岩に言った。 「ごめん、僕、一旦カザくんを桜上水駅まで送ってくよ」 「だな。そうしたほうが良いっぽいな。最近宵方は冷えてきやがるし」 開いたドアからホームに下りながら小岩は手を振った。杉原は応えて手を振るが、風祭はさっそく頭を揺らし始めている。杉原は苦笑して風祭のとなりに座った。 「杉原くん?杉原くん?」 風祭の声で目を覚ました。卓掌のアナウンスが桜上水の名を告げている。 (ミイラ取りがミイラになっちゃったみたいだね) 杉原は眠い目をこすった。 「ごめん。じゃあ僕は折り返しで帰るよ」 二人して電車を下りる。彼岸過ぎた暮れ方はすでに日が落ち、家の光や商店街のネオンが瞬いている。 「ふうん。いい町だね。駅もきれいだし商店街も雰囲気良さげだし。何かのんびりしてるって言うか」 「うん」 「じゃ、またね」 杉原は反対側のホームヘの通路に向かい始めた。 「あ、杉原くん?」 杉原が振り返ると風祭が躊躇いがちに言葉を紡ぐ。 「あのさ、家に来ない?」 「でももう遅いし」 「あ、明日休みだし…」 何か相談したいことでもあるのだろうか? 「家の人は?」 「ウチ、兄貴と二人暮らしで、兄貴も朝まで帰ってこないし」 訥々と語る。ぎこちなく。 「うん」 杉原はうなずいた。 「じゃあ、お邪魔してもいいかな?」 「うん!」 真っ白な笑顔で。 シャワーを借りて汗を流した。バスルームを出ると風祭が台所に立ってコンロに掛けた鍋をおたまでかき回している、「…何か、」 「ん?」 つぶやきに風祭が振り返る。 「何か様になってるね」 そうかな、と風祭は照れ笑いした。 「兄貴と二人で代わり番こに家事やってるからかな…あ、あのさ悪いんだけど」 「うん?」 「吹きこぼれないか、鍋見ててくれる?僕もちょっと汗流してくるね」 杉原がうなずくと鳳祭はパスルームに駆け込んだ。 トロ火に掛けられた鍋からクリームシチューの匂いがする。杉原はこっそり立って鍋をのぞき込み、牛肉が入っていないことを確認した。 「ご馳走様でした」 手を合わせてお辞儀する杉原に風祭はあわてて「お粗末さまでした」と応えた。 「本当に美味しかったのに」 「じやあ、何か飲む?お茶かコーヒーか何か」 照れて席を立つ風祭に、何て面白いんだろう、と杉原は思う。きっときれいな育ち方をしたんだろう――愛情と言うのが。 きっと気付かないほど普通に在って。 歪みのない愛情。見返りを求められない。 「杉原くん牛乳大丈夫だっけ?ミルクティーでいい?」 「うん、お構いなく」 「あ、僕の部屋に行ってて足伸ばしてて」 「じゃあお邪魔します」 (どんな顔するだろうか?) サッカー好きの中学生の部屋白散らばるたくさんのサッカー雑誌とあまり使われてる様子のない教科書。ポール。そしてスパイクが…二足? 「座っててくれればいいのに」 カップを二つ持ってきて風祭が入ってきた。一つを杉原に手渡す。甘い匂いと温かい湯気。 「牛乳からお茶っ葉煮出したんだ?」 「あ、すごい。分かるんだ」 本当に驚いた顔をする。 (分かりやすいんだね) どんな顔するだろうか? 蜂蜜入りの濃いミルクティーを黙ってすすりながら、酷い気持ちに少し悲しい気持ちが交じる。 「天城とは…」 杉原のその一言に風祭はうろたえる。 「…上手くいった?」 風祭はカップに口をつけたまま黙り込んだ。 「やっぱり」目を伏せたまま風祭はしゃべる。「避けられてるみたいだ」 「そう…」 (そうなるように仕向けたんだけど――) ホントに分かりやすいね、君たち二人とも。 「天城にしてみれば当たり前なのかもね」 軽いフェイント。風祭は意表を衝かれて顔を上げた。少し問合いを詰めてみせるステップに素直に反応する。もう少し揺さぶってみよう。 「プライドが高そうだからね、天城。他人に心配されるのって屈辱なのかも知れない」 「でも」 風祭が必死に言葉をつなごうとする。身体でガードしてポールを必死に守るように。 「でも?」 「でも……放っとけないし」 「どうして?」 ライン際に追い込む。小さな身体で敵のチャージに耐えている。でもフォロワーは?いつもはフォローに入る味方が今、追い詰めている張本人かも知れないのに。 「どうして、って…チームメイトだし」 「それだけ?」 「お、おかしいかな?」 「うん」 風祭の表情が強ばる。唇が少し震えている。もう少しだろう。きっともう少しでカザくんは…。 「チームメイトだから何?そんなに立ち入っていいのかな?」 「でも杉原くんも…」 「へえ、じゃあ認めるんだね?『自分のお陰で天城がチームで孤立しないでいられてる』そう思ってるって」 「…杉原くん?」 「それって傲慢だよね」 風祭の顔が色を失い視線が揺れ動く。今目の前にいるのは仲の良いチームメイトではなくて、自分にチェックを掛けに来た相手だと悟る。 「カザくんは天城と違って同じ中学の水野くんや飛葉中の椎名さんたちとも仲良いから、その余裕なんだ。天城に同情を掛けていられるのって」 (ぼくにもそうしてるように) 「同情なんかじゃ…」 「天城からしたら屈辱だろうね。周りにたくさん居場所がある奴から、おこぼれみたいに目を掛けてもらってるんだから」 (ぼくがそうして欲しいように) 「違う」 「そう言うのなんて言うか知ってる?」 杉原はカップを床に置き、風祭の腕を強く握ってカップをもぎ取り、それも床に置いた。 まだ冷めやらないカップから甘い匂いが漂う。杉原は風祭の耳元に口寄せささやいた。 ――『八方美人』って言うんだよ。 風祭は吐きそうに迫り上がった肺を絞って、「違う」と呻いた。 「周り中に良い顔して敵を作らないようにして、上手いこと立ち回って、」 「そんなんじゃあ…」 「孤立してる奴には『居場所』っていう甘い餌を与えて飼い馴らして」 (ぼくにそうしたように) 「違う!」 風祭が叫んだ。杉原は風祭の耳元から離れ、その顔をのぞき込んだ。 「…じゃあ証拠を見せてくれる?」 杉原の手が風祭のティーシャツの裾から忍ぴ込む、同時に唇があごの線をなぞる。嫌悪感に風祭の背条に震えが走った。 「あ、す、杉原く…」 「嫌なら抵抗していいよ」 いつもの温厚な笑みで杉原が言う。 「その時は『やっぱりそうなんだ』って思うだけだから」 上半身から衣服を剥ぎとられ、杉原の髪がするすると胸を撫でてゆく。涙が滲む瞼を強く瞑り風祭は、慄きながら固く口を結んで声が漏れるのを耐えた。 体重が15キロ近く違う。杉原の身体は地面を擦って金網にぶつかった。 「いた…」 口を切ったらしい。鉄の味がする。 「何でそんなこと…!」 怒りより、憤りが滴るような天城の声。 「悪い?」 血を吐き出した杉原が、天城を見上げて言う。 「当たり前だ」 「…当たり前ね…」 杉原は座ったまま金網に寄りかかった。 「でもどうして君が怒るの?」 「ならどうしてその事をわざわざ俺に告げた?」 「…ちょっと君を傷つけて見たかったんだ」 「それなら当然の結果だろ」 「へえ、傷ついたんだ?」 天城は言葉に詰まった。 「カザくんにあんなことされて『君が』傷ついたんだ?」 (たぶんぼくも傷つくだろう。彼を誰かが傷つけたなら) 「やっぱり依存症なんじゃない?」 (ぼくと同じように) しばらく沈黙して、かもな、と天城は言った、杉原は口まわりの血を拭った、「…行くの?」 「ああ」 「ドイツに」 「…ああ」 「へえ、そう」 (たぶんぼくも傷つくだろう。誰かが君らを傷つけるのなら) 彼岸過ぎてもまぶしい陽が照る日が、まだたまに訪れる。影が濃い。 「…どうして泣く?」 うずくまる杉原の顔の細い流れが伝うのを見て天城が言う。 「別に」 もう一度血を吐き出した。 「ちょっと寂しくなっただけだよ」 天城は少し戸惑ったように立ち尽くした。まぶしい太陽の下、棒のように立ち尽くしていた。石のようにうずくまったままの杉原を、ずっと見下ろしていた。 |