ディストーション
〜雨竜〜


 黒崎一護 黒崎一護
 耳鳴りのように鼓膜の内側から脳髄に鳴り続ける。うるさいんだよ 頼むから静かにしてくれないか?
 ライターが見当たらなかったので紙マッチを擦った。
 似合わねえ事してやがんな
 煙の薄く立つ煙草を銜えた雨竜に恋次が声を掛けた。
 僕の勝手だろう?
 裸の膝を抱えて煙草を吸う。先端が赤く灯ってそれから白い灰になる。灰皿を用意してなかった。
 おらよ
 すぐ横で胡坐をかく恋次が、飲み干したビールの空き缶を寄越した。
 どうも
 慣れない手付きで缶に灰を落とす。
 俺にも一本呉れ
 返事を待たずに恋次は、膝を抱えて煙草を吹かす雨竜の脇に落ちている煙草の箱を手繰り寄せた。
 女モンかよ
 嘲笑って細長い煙草を一本抜いて銜えた。
 火
 雨竜は紙マッチを床に滑らせた。
 あん? これどうやって擦るんだ?
 尸魂界には無いのかい?
 燐寸箱しかねえな ちゃんと木の軸の付いたやつ
 窶れた苦笑を浮かべて雨竜は恋次の手から紙マッチを取った。
 こうやってマッチを横薬と紙で挟んで引っ張るんだよ
 ボ、と音がしてマッチに火が点った。
 ほら
 雨竜が差し出した火は、恋次の銜えた煙草に点く前に消えた。
 やり方は分かっただろう? 自分でやってくれよ
 雨竜は紙マッチを手渡そうとしたが、恋次は受け取らなかった。
 面倒くせえ
 煙草を銜えたまま雨竜の鼻先に顔を寄せた。銜えたままの煙草の先端を、雨竜の銜えている煙草の先端に触れさせる。恋次の煙草にも火が点いた。
 チッ
 一息吸って恋次が舌打ちした。
 薄荷入りかよ 口ん中がスースーしやがる
 嫌なら吸わなければいいだろう
 メントールの煙草を深く吸い込んで肺に溜め、吐く。目を閉じるとクラクラと眩暈がする。
 そんな重いヤツじゃなかった筈なんだけどな でも丁度いい
 二人ともしばらく静かに、空き缶を挟んで煙草を吹かした。
 黒崎一護 黒崎一護
 鬱陶しいノイズが左耳の方から殴り付けてくる。固く目を閉じてそれに耐える。
 おい
 煙草を缶の縁に押し付けて消すと、恋次は雨竜に声を掛けた。
 何考えてやがる?
 別に
 嘘吐け
 どうでもいいだろう
 何考えてやがった?
 何も
 言えよ
 何にも それより早くやろうよ
 煙草を缶の中に落とすと、雨竜は恋次の方に手を衝いて座ったまま身を乗り出した。
 早くやろうよ
 誘う。
 冷めた目で雨竜を見下ろした恋次は、覚めたまま雨竜の首に手を回した。二人とも服は既に脱いでいる。
 口付け。
 熱の無い口付け。
 それでも長々と、執拗に互いの唇を貪りあう。恋次は髪を解いた。長い赤髪がばさりと流れる。
 雨竜も眼鏡を外そうとした。
 着けてろ
 何故?
 いいから着けてろ
 今度は雨竜が嘲笑った。
 変態
 恋次の唇が徐々に雨竜の体を下降して行く。頤、喉、鎖骨、胸、脇腹、臍、腰骨……
 快楽と伴にノイズが掠れてゆく。
 いい感じだよ
 雨竜の四肢が震える。陶然として半眼の笑みを浮かべる。
 あは ははは
 笑ってねえでよ テメエの番だろ
 もういいだろ 挿れてくれよ
 ざっけんな
 挿れなよ 早く欲しいんだ
 両手で恋次を抱え引き寄せる。再び口付けを交わす。今度は何か異様な熱が籠っていた。
 早く
 勃たねえよ
 不能かい?
 馬鹿 その気にさせろよ
 仕様が無いな
 今度は雨竜が恋次の身体に齧り付いた。刺青の入った筋肉質の身体に唇を這わせ、時折歯を立てる。右肩を咬むと、薄っすらと血が出た。
 痛えな 何しやがんだ
 気にするなよ
 血の滲む右肩に唇をそっと当て、吸った。口の中に錆の味。
 ほら 止まった
 言う雨竜は、虚ろな笑みを見せた。
 衝動に襲われる。恋次は雨竜の口を己の口で塞いだ。その唐突に驚いた雨竜は無意識に逃れようとした。恋次の唇はそれを許さず、追いかけ、捉え、取り押さえ、無理矢理に唇を貪る。
 何……だい……
 口付けの合間に雨竜が絶え絶え口を開く。
 黙ってろ
 床に雨竜を押し付けた恋次は息継ぎ荒く執拗に雨竜の唇を、身体を求めた。
 早く挿れてくれよ
 黙ってろ
 恋次が己の陰茎を雨竜の後に宛がった。雨竜は目を閉じてその部分に神経を集めた。やがて身体天然の抵抗に逆らって、恋次のそれが雨竜の中にゆっくりと入ってきた。じわりじわりと進んでくる。雨竜は痛みに耐えながら受け入れるため、反射で入る力を制御しようと努めた。やがて深い所まで埋まる。
 おい
 懇願するように、伏せた額を雨竜の首筋に当て、恋次が言った。
 動かすぜ
 どうぞ
 ゆっくりと、ゆっくりと恋次は動いた。
 痛みと快楽。雨竜を蔽う感覚。それだけがあのノイズを、あの名前を消し去る。
 いい感じだな
 祈るような姿勢で覆い被さる恋次の向こうの天井をぼんやり見つめて、雨竜は身体をただ、感覚に委ねる。
 やべ
 息荒く恋次が呟いた。慎重に雨竜の中から陰茎を引き抜くと、雨竜の腹に吐精した。そのまま雨竜の横に仰向けに転がる。
 てめえは
 まだ荒い息を吐きながら恋次が言った。
 いかなくていいのか
 後で一人でやるよ
 恋次は片手で両目を蔽った。
 そっ……か
 は、と笑う。自分を嘲る様に。
 雨竜は痛みが治まると、体を起こしまた膝を抱えて座り込んだ。床を探って煙草の箱と紙マッチを手に取った。箱の中から一本、細い煙草を取り出して銜え、紙マッチを擦る。メントール味の煙を吸って、緩やかに吐き出した。
 黒崎一護 黒崎一護
 またあの名前が、ノイズが襲い掛かる。いつも左側からやって来るノイズ。消えないノイズ。消えてくれないノイズ。痛みの間だけ忘れられるノイズ。
 何考えてやがる?
 同じく身を起こして胡坐をかいた恋次が問う。
 別に 何も
 嘘吐け
 殺気にさえも似たものが宿った視線。でもそれさえもどうでもいい。
 何も
 黒崎一護 黒崎一護
 どうでもいい ただ誰か このノイズを消してよ