通話〜三人暮らし4〜


 「そういう事を言ってるんじゃない」落ち着くために一呼吸置いて雨竜は続けた。「君、解かってて言ってるだろう?」
 「何が言いてえんだよ?」と一護は突き返した。
 「夜遊びするなとか外泊するなとか言ってるんじゃない。そういう時は連絡を入れろと言っているんだ」
 「だからさ……」今度は一護が気を落ち着けるためにため息をついた。再び口を開く前に思わず舌打ちをしてしまっていた。「それが何でだよ? て話だろうが。ルームシェアしてようがお互い踏み込ませたくねえトコだってあるだろう!?」
 つい語気が荒くなった。
 険しさを増す雰囲気に雨竜の神経も苛立ち、人差し指と中指を揃えて眼鏡のブリッジを押し上げるいつもの癖を見せた。それが不穏な前触れだと既に知っている一護は少したじろぎ、そして更に向きになった。
 「お前は俺の親か何かかよ?」
 「僕が君の親なら――」売り言葉を買って雨竜の言葉もきつくなって行った。「――君なんかがどうしようが放って置くけどね! だけど! そうじゃないから言ってるんだろ!」
 「何だてめえ!? 何が言いたいんだよ!?」
 「何度も繰り返させるな! 一言でいいから断りを入れて出て行けといってるんだ!」
 「それが嫌だっつってんだろが!」
 「僕らに迷惑だろう!?」
 「だから!」かっとなって一護は言った。「なんで俺の帰りが遅かろうが帰って来なかろうがお前らの迷惑になんだよ!? おまえらには関係――」
 ――無えだろ!? と言い掛けて一護は口を閉ざした。織姫の視線に気付いたのだった。
 二人の口喧嘩の最初から織姫はその場、ダイニング兼リビングにいたのだが、口を挟むことなく黙ってテーブルについてお茶を飲みながらテレビを見ていたのだ。しかし今、その両目は一護を見ていた。
 その目から逃げるように一護は視線を二人から逸らした。それからその侭、ばつの悪さに少々落ち着きを取り戻した口で言い直した。
 「だからさ、なんでそんな監視みたいな事したがるわけだよ、石田?」
 「別に監視しようとしてるわけじゃないだろう?」同じく冷静に返った雨竜が応えた。「一緒に住んでてもお互い踏み込まれたくないところが有る、と言ったのは君じゃないか。その為にも最低限のルールは守るべきだろう」
 だから、と再び前置きして一護が言った。「何でお前らに外泊許可を取る事がお互いプライベートを守ることになんだよ?」
 「それは単に――」
 続けて何か言おうとした雨竜はその言葉を飲み込んで口篭り、改めて言い直した。
 「君がさ、ガールフレンドの部屋で一晩過ごしたってそれは君の勝手だけどね、でも――」
 「ちょっと待て!」一護は雨竜の言葉を遮った。「誰が女んトコに時化込んでるっつったよ!? て言うかそもそもそんな女いねえよ!」
 「別に隠さなくてもいいぞ、黒崎」
 「隠してなんかいねえよ!」澄ました顔で言った雨竜の言葉を一護は慌てて打ち消した。「勝手に決め付けんな!」
 「ほら見ろ」と雨竜は厳かに言った。「最低限の連絡は取り合わないと、お互い痛くも無い腹を探り探られる事になるだろう?」
 言葉に詰まらされた一護は、キッタネエ、と呟いた。「てめえ誘導したろ!? 今の卑怯だぞ!」
 「まあ、とにかくこれで解かっただろう。お互い外泊、及び晩御飯までに帰れないときは一報入れること。いいな?」
 遣り込められそうになった一護は暫く無言でいたが、首を縦には振る事はしなかった。
 「て言うかよ」意固地なまま一護は口を開いた。「お前の煙草の方が迷惑なんじゃね?」
 「ちょっと待て」突然の一護の言葉に、雨竜は呆れた。「なに議論を摩り替えようとしてるんだ、黒崎」
 「違えよ。お前の煙草だって俺らに迷惑じゃねえか。お互いの為にお前のルール導入すんなら、お前がまず煙草やめるべきだろうが」
 「別に僕が煙草吸ったって君らに迷惑掛けてないだろう!?」
 「いーや迷惑だね」
 「何故だよ!? 吸う時はベランダに出て吸ってるし携帯灰皿だって持ってるだろ!」
 さっきまでの澄まし顔とは変わって必死になった雨竜を相手に、逆に一護は綽々と吐いた。「ベランダから部屋に戻ってくる時、におうんだよ。あと俺らの部屋のごみ箱に灰と吸殻を捨てんな。俺ダメなんだよな、あのにおい」
 「嘘をつけ! そんな話、初めて聞いたぞ!」
 一護はとぼけた。「お前に遠慮して言わなかっただけ」
 「君が僕に遠慮したことなんて今まであったか!?」
 「そんなのいっつもだっての。大体な、石田!?」それから一護は深刻ぶった顔と声で言ってみせた。「俺らはよ……お前の身体を心配して言ってんだぜ……」
 「僕の肺を君に心配される謂れは無いね! それになんで『俺ら』なんだよ、井上さんは何も言って無いだろ!?」
 「……おい、井上が心配して無いとでも言うのか、石田……」悲愴な素振りで一護は嘆いてみせた。
 「その小芝居を――」
 ――止めろよ、と言い掛けて今度は雨竜が織姫の視線に口を閉ざされた。ばつの悪さに咳払いをした。
 「そら見ろ、もう喉に来てんじゃねえのか?」
 「そんなわけ無いだろ!」一護の揶揄に雨竜は躍起になった。「大体そんな心配されるほど吸ってないから! せいぜい一日に二、三本ってところだよ!」
 「嘘」
 唐突に口を開いたのは織姫だった。
 「一週間に二箱近く吸ってるよ、石田君」
 「ちょっと、井上さん!?」側面攻撃に雨竜は動揺した。
 「ん、てこたぁ四十を七で割って、一日あたり六本か」
 「余りを切り上げるな黒崎! 切り下げろよ! それに、二箱近く、であって、二箱も吸って無いから!」
 「ま、これで話は決まったな。話はお前が煙草やめれてからだ」
 「ううん」
 今度の織姫の言葉も不意打ちだった。
 「帰らない時はちゃんと連絡してよ、黒崎君」
 さっきの雨竜と同じく、一護も動揺した。「ちょ、井上、お前どっちの味方だよ!?」
 「まずもって君が議論を摩り替えてきたのが悪いんだろ!?」と、雨竜が追い討ちを掛けてきた。
 「いーや、最初はお前の詭弁が悪いんだろうが!」
 「違うね、元々君が何の連絡も入れずに時々ふらっ、と居なくなるのが悪い!」
 「それを悪いとするお前の理屈がオカシイんだよ!」
 「何処かに行方くらます時は同居人に一言入れるのは当たり前だろう!」
 「行方くらますて、てめえ人を逃亡犯みてえに……ああ! ちくしょう!」二面攻撃を受けて一護は遂に激昂した。「じゃあな!」
 そう言い捨てると一護は雨竜と共同の自室に戻りバッグ一つ持って出てきた。「暫くあばよ!――て、こうやって予め言っときゃ問題無えんだろ!?」
 そう言い捨てて一護は玄関へと向かった。
 「待てよ、黒崎、どこへ行く!?」
 「言いたくねえな!」
 ドアを叩きつけて一護はアパートを出て行った。
 
 
 まったく、あいつ……と苛立った声で呟くと雨竜は舌打ちした。真っ白な地に青い絵の入った煙草の箱から一本抜き出して銜え、火を点した。
 時計はもうすぐ午前一時を差すところだった。吸う都度夜の暗がりの中に煙草の赤い蛍火が浮かび、雨竜は闇に向かって白い煙を吐いた。唇の間から細く吐かれた煙はカーテン越しの部屋の灯りに照らされながら真っ直ぐに流れやがて綿のように膨らんでぼやけ夜闇に紛れて行った。
 不意に灯りが射した。カーテンが引かれていた。それから窓が開けられた。
 「井上さん……」
 敷居を越えて素足でベランダに出てきた織姫に、雨竜が声を掛けた。それから慌てて携帯灰皿を取り出そうとしたが織姫は簡単な身振りでそれを制した。
 「別にいいよ」
 「いや、良くないよ」雨竜は吸いさしの煙草を揉み消して灰皿の中に捨てた。
 織姫は笑った。「いいって言ってるのにどうして消しちゃうの、石田君?」
 「僕が良くないからだよ」
 「だから、どうして?」
 「副流煙を吸わせたら身体に悪いし……」
 へえ、と微笑んだまま織姫は言った。「煙草が身体に悪いってコト、解かってるんだ?」
 口篭る雨竜の足元に、織姫は膝を抱えるように座り込んでベランダの柵に背中を預けた。
 「別に、やめて、とは言わないけど」何か言おうとした雨竜の機先を制するように織姫は続けた。「吸い始めた頃より本数、増えてるよ」
 短くも気不味い沈黙の後に雨竜は、ごめん、と呟いた。「ちょっと控え目にするよ……」
 「うん。ありがとう」
 織姫の言葉に、何故この人は御礼を言うのだろう? と雨竜は思ったが別に言葉にはせず、うん、と口の中で呟いただけだった。
 「ホントのコト言えば良かったのに」
 織姫がベランダのコンクリートの床を人差し指でなぞりながら言った。
 「本当の事?」雨竜は聞き返した。
 そう、ホントのコト、と織姫は応えた。「あんなややこしいコト言わないで、ホントのコトひとつ言えばそれで黒崎くん、きっと言うコトきいてくれるよ」
 「別に嘘をついたつもりは無いんだけどな」彼には珍しく拗ねた様子で雨竜は言った。
 織姫が顔を上げて雨竜を見て微笑んだ。それだけで雨竜は降参しなくてはいけなかった。
 「解かってるよ」雨竜はため息と一緒に認めた。「嘘はついてないけど、本当の事も言いませんでした」
 うん、と織姫は再び床をなぞる指先に視線を落とし呟いた。「私も言わなかった」
 「悔いてるの?」
 雨竜の言葉に織姫は首を小さく振った。「私が言っても意味の無い言葉だもん」
 それから、同情されるだけだから、と織姫は付け足した。「女だし」
 なら自分にはそういう資格はあるのか? と雨竜は自問したが、その自問が不公正であることも解かっていたので、口にはしなかった。
 「うん」雨竜は頷いた。「今度そういう話になったらちゃんと本当の事を言うよ」
 「ありがとう、石田君」
 顔を上げて微笑む彼女を見て雨竜は、何故この人は御礼を言うのだろう? と再び思ったが、やはり口にはしなかった。
 
 
 電話が鳴った。
 「はいはいはい」と、誰とも知らない電話の向こうの誰かに応じながら雨竜は二昔前のモデルの電話機から、縮れたコードの着いた受話器を取り上げた。未だに雨竜も織姫も携帯電話を持っていなかった。
 「はい、どちら様でしょうか?」
 『ム……石田、か?』
 その低い声と重い口調で雨竜には相手が解かった。
 「茶渡君かい? 久し振りだね」
 『そちらは二人とも元気か?』
 「ああ、元気だよ……って」何故今、二人しかいないと解かったのかを訊こうとして、雨竜はその理由を即座に察した。「……そっちに居るんだね?」
 『ああ』
 「悪いね、迷惑掛けて」
 『ム……大して迷惑ではないが……どうしても帰らない、と強情を張るんでな』
 やれやれ、と思わず雨竜は苦笑してしまい受話器越しに向こうにも伝わったようだった。泰虎も同じく短く低い苦笑を受話器の向こうから聞かせた。『……まったく、似たもの兄妹だ』
 「え?」
 『いや、何でもない……そちらから一護に電話を入れてもらえないか?』
 「それは構わないんだけど、多分いつものように電源切ってるよ」
 『今は入ってるはずだ。出先から電話を入れると言って出てきた』
 「え? じゃあ茶渡君、今部屋じゃないのかい?」
 『ああ、近所の喫茶店からだ』
 雨竜は胸の中で、あの馬鹿、と呟いてため息をついた。「……ごめん」
 『石田が謝る必要は無い』
 「ありがとう。じゃあすぐに黒崎には帰るように言うよ」
 『ム、ではよろしく頼む』
 そう言って泰虎は電話を切った。
 雨竜は一度受話器を置くと、再び取り上げて番号を押した。
 
 
 『しつこい!』
 『……開口一番何だい?』
 『28回もコールするんじゃねえよ!』
 『君が出ないからだろう? まあ、着信を見て電源を切らなかっただけマシだけど』
 『……で、何の用だよ』
 『さっさと帰って来なよ。茶渡君にも迷惑だろう』
 『あ! チャドの野郎、チクりやがったな!』
 『小学生みたいなこと言ってないで。もういいだろう? 戻って来いよ』
 『なにが「もう」だよ。別に何も解決してねえし。戻ったってまた同じコト言い合う羽目になるだけだろ』
 『……君、もしかして……』
 『……あん? 何だよ?』
 『……本当に恋人でも出来たのかい?』
 『違えよ! 一緒に暮らしてんだからそのくらい解かるだろうが!』
 『解からないよ』
 『……』
 『言わないと、解からないよ』
 『……そういう言い方はズルいんじゃねえのか?』
 (――そうだね、と彼は自嘲する)
 『じゃあさ……僕の我侭って事でいいんだよ』
 『はあ? 何の話だよ?』
 『単に、君が帰ってこないと、僕が心配なんだ。それが連絡しろと言ってる、理由』
 『心配って……お互いもうハタチだろ?』
 『君がもう帰って来ないんじゃないかって、居なくなるんじゃないかって、それが怖い』
 『……』
 『……』
 (二人とも暫く押し黙る。漸く彼は口を開く)
 『……どうしても言えねえ時は、言えねえぜ』
 『いいよ。解かってる』
 (彼は胸の内で呟く――そんな場所は一つしかないって知ってるから)
 『うん、じゃあ、あの、アレだ。チャドが帰ってきたら、そっち行く』
 『行く、じゃなくて、帰る、だろ』
 『おう、帰る』
 『うん、じゃあ、待ってるよ――二人で』
 『ん……じゃ、後でな』
 (そう言うと通話が切れる。彼も受話器を置く。そしてそばに座っていた彼女に苦笑しながら告げる)
 「帰ってくるって」