石田家の食卓
L to R ver.


 放り込まれた衝動でスーパーの買い物カゴが揺れた。プラスティックの黄色いカゴ。
 石田雨竜が手元のカゴをのぞくと辛子明太子と一緒に徳用チョコレートの袋が投げ込まれてた。目を上げると一護と目が合う。無言で互いの顔を見合す。やがて雨竜は目をそらして生鮮食品コーナーへと足を向けた。一護も黙ってついて来た。
 うるさいスーパーの中、スピーカーからは有線で流行の曲が流れてる。
 「あ?そんなモン買ってどうすんだ何食わせる気だ」
 雨竜が買い物カゴに茄子を置くと一護が毒づく。雨竜は喉の奥で小さく咳払いして、茄子のカレー、と呟いた。
 「馬鹿?馬鹿だろお前何でナスビとカレーなんだよ何でナスビでカレーなんだよ?」
 じゃあキミは辛子明太とチョコレートで何を作れと言うんだい?
 「それはオレの考えるところではない!」
 (テンション高いなあ……)キミ、単に自分の好物を棚から取って来ただけだろ?
 「悪いかよ」
 子供じゃないんだから……チョコレートの明太子和えとか作るよ?
 「あのな、石田」
 冗談だよ。
 「それ結構美味いんだぜ」
 雨竜は絶句して頭の中で味を想像してみて眉を顰めて左手で胃の辺りを押さえた。一護は後ろで有線に合わせて口笛を吹いている。
 ふう。
 雨竜はご機嫌な一護を振り返ると、無念に吐息をついた。
 絶対あれ、罠だっただろ、黒崎。
 
           ※
 
 「じゃあこれでけりをつけようぜ。石田」
 一護が破った大学ノートとシャーペンを持ってきて雨竜の前の席に座った。
 けり?何の?
 一護が薄笑いを浮かべて嘲る。
 「あーそーですか。じゃあ負けを認めるってことだな?」
 だから何のだよ?
 「いや、いい。俺の不戦勝でいい」
 待てよ、と椅子から腰を上げ駆けた一護を、雨竜は呼び止めた。
 「はーい。なーんでーすかー?ガリ勉眼鏡さーん?」
 ああ此処で黒崎の口車に乗ったらこんな安い挑発にも乗ったってことになるしでもすごい癪に障るんだけど!
 一護は、眼鏡の奥で葛藤に揺れる瞳孔を見てほくそ笑んだ。適時打を、雨竜に聞こえるか聞こえないかこっそり呟く。
 「じゃな、へっぽこ滅却師さん」
 ……何で勝負しようってんだい?
 それを言われて引き下がれはしない雨竜なのだ。特に一護に対しては。
 「別に無理しなくてもいいぜ、眼鏡君」
 ……まったく……
 この男はいつまでニヤニヤニヤニヤニヤニヤニヤニヤ笑ってるんだ!
 うるさいから早く教え給えよ。
 「そっか。どーしてもってんならしょうがねえな」
 何処までも頭にくる男だなキミは、といら立ちを必死で抑える雨竜を他所に、一護はノートの切れ端に悠長に線を引く。
 「これだ」
 
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 しばし無言でノートを見つめた雨竜は、眼鏡を押し上げると、やはりそのまま押し黙ったままだった。
 「棒消しだよ棒消し。知らねえの?石田さーん?」
 知ってるよ!知ってるけど……
 「お、知ってんのか。そいつあ良かった。後で、『知らないゲームに付き合わされていかさまに引っ掛けられた』とか言われたらむかつくもんなあ」
 言う訳ないだろ!そんなこと。
 「あ、そうか。じゃあほら、やってみろよ」
 一護からシャーペンを差し出されて雨竜はそれを引っ掴んだ。そのヘラヘラした薄笑いが癇に障るんだけど!
 「あ、負けた方は罰ゲームな」
 分かってるよ!
 雨竜はカチカチッとシャーペンをノックすると、凝っと紙面を見つめる。やがてHBの芯で底辺の七本のうち、真ん中の三本を消した。
 ほら!次はキミの番だぞ。
 「はいはーい」
 雨竜から余裕綽綽でシャーペンを受け取ると、一護はこらえ切れずくっくっくと笑い声を立てた。それから鋭く芯を滑らせ、天辺の一本を削った。
 
           ※
 
 雨竜は知らずシャーペンをへし折りそうに強く握り締め、何回も何回も頭の中で試行錯誤して、最後の一本を避ける方法を模索していた。
 「おいもう諦めろよ」
 欠伸しながら一護が言う。
 うるさいなあ!ちょっと黙っててくれないか?!
 「もう絶対無理だって」
 うるさいっ!
 「いや、もうホント絶対無理なんだって、それ」
 一護の言葉に下唇をかんで、雨竜は自棄に線を引いた。
 ほら!
 シャーペンを受け取ると一護はすぐさま棒を消し、雨竜の敗北を分かり易く見せ付けた。
 「ハイどーぞ、石田さん。まだやるんなら」
 やらないよ、僕の負けだよ、僕の負けです。ぼ・く・の・ま・け・で・す!
 屈辱に涙ぐみそうになりながら石田はシャーペンを投げ返した。
 「ハイ分かりました。じゃあ罰ゲームなー」
 どうぞ!どうせ丸刈りにしろとか裸で街歩けとか三回まわってワンと言えとかネクタイを鉢巻にしてヘソ踊り踊れとか鼻から牛乳飲めとかそんなんだろ?!
 「はあ?誰がんな勿体無い事に使うかよ」
 意地の悪い笑みを顔中に広げた一護を見て、雨竜は嫌な予感に見舞われた。
 ……眼鏡だけは死守するからな……
 「あんな、」
 少し決まり悪そうに一護が口を開くと、雨竜は知らず唾を飲んだ。
 「晩飯食わせてくれ」
 
           ※
 
 「二千百五十七円になります」
 レジで財布を取り出す雨竜に先駆けて一護が千円札を三枚差し出した。
 「三千円お預かりいたします、843円のお返しに」
 「ああっと、ちょっと待ってください。すぐに払いますから」
 雨竜は慌てて千円札二枚を財布から引っ張り出すと、小銭入れから百円玉二枚を探す。
 「後にしろよ。レジ詰まってるだろ」
 「ああ、でも」
 言いつつ振り返ると後ろに二人並んでいる。一護は手をさし伸ばして雨竜越しに釣銭を受け取ると、まだぐずぐず言う雨竜の背中を前へ蹴り出した。靴を脱いでいたのが最小限の気遣いらしい。
 「鈍えんだよ」
 不機嫌に眉間へしわ寄せて、買い物カゴからスーパーのポリエスチレン袋に品物を突っ込み始めた。
 「ああもう!馬鹿かキミは!」
 それを見て雨竜は一目散に飛んできて、詰め方の指導をする。
 「重い物や固い物が先!豆腐や玉子や傷みやすい物は上になるように後!常識だろ」
 「うわ、うぜ」
 辟易して一護が呟く。雨竜は詰め終えると、よし、と左手にぶら下げる。
 「おう。様になってんな」
 馬鹿にして一護は言ったが、雨竜の手からポリエスチレンを掻っ攫うと、自分で持って出口を出た。
 「いいよ!」
 「ああそうですか」
 と言ったけれど雨竜の抗議は無視してそのまま持って歩く。雨竜はその後から付いて表に出た。斜め後ろから問う。
 何にそんな怒ってんだよ。
 「別にー。地顔だろー」
 早足で止まることなく一護が先を行く。雨竜は思い出すと慌てて財布を出した。千円札を三枚。
 はい、さっき立て替えてもらってた分。
 「いらねー」
 そんな訳にはいかないだろ。それ、今晩の分だけじゃなくてボクの買い置きも入ってるんだから。
 一護は面倒くさそうに振り返ると、一枚だけ掴んで引っこ抜いた。
 「じゃあ折半ってことで」
 折半って、ほとんどがボクの食費なんだぞ。
 「さっきつり銭が八百五十円だったろ。それにこの千円で大体二千円じゃねえか」
 一旦唇を結んだ雨竜は、しばらくして不平を呟く。
 やっぱりキミ、ボクのこと貧乏だと決め付けてるだろ?
 「うるせえなあ……おい、こっちだっけ?」
 そうだよ。
 「じゃあさっさと作って早く食わせて下さい。石田さん」
 
           ※
 
 「はい」
 一護が空になった皿を差し出した。雨竜は食べかけのスプーンを置いて聞いた。
 ……何だい?
 「おかわり」
 差し出された皿を冷たい目で雨竜は見つめる。
 「早くくれ。まだあんだろ?」
 ……野菜オンリーのカレーなんてカレーじゃねえよ、とか散々文句言ってたくせに。
 「おかわり」
 雨竜は黙って席を立つと皿を受け取って、キッチンに引き返した。
 「辛子明太子も一緒に持ってきてくれ」
 食卓から横柄な声が聞こえる。おさんどんさん扱いだな、全く。雨竜は憮然と思ったが、両手は淀みなく動き手早くカレーをよそうのだ。皿の左側七分にライスを盛り、右側にルーを掛ける。左手に皿を持ち変えると右手で冷蔵庫の扉を開けて辛子明太子を取り出した。
 はい、お待ちどうさま。
 「サンキュー…」
 一護は辛子明太子をルーに落として掻き雑ぜた。意表を衝かれ黙っていた雨竜はようやく口を開く。
 何やってるんだキミは?
 「俺の好みにケチ付けんな」
 仏頂面でスプーンを口に運ぶ一護を見て、雨竜は自分の皿に目を伏せスプーンを音高く鳴らして食べる。
 悪かったね、キミのお口に合わなくて。
 一護のスプーンが空中で止まって、ゆらゆら動き、それから一護が、くあああ、と呻いた。
 「んな訳ねえっての」
 別に気を使ってもらわなくても結構だよ。
 テーブルの下の一護の足が、雨竜の足を蹴った。
 何だよ。
 雨竜が睨む。今度は一護が怒ったようにスプーンを鳴らして、カレーの中に突っ込んだ。
 「ちゃんと美味いです」
 それ以上喋らなくていいように、大盛りに掬い取ったスプーンに大口開けて噛み付いて、勢い良く咀嚼する。
 気を使ってくれなくてもいいよ。
 まだぶつぶつ言う雨竜の足を、口の塞がった一護の足がも一度蹴った。
 
           ※
 
 徳用チョコレートの包み紙が次々、ゴミ袋代わりのスーパーの袋に突っ込まれてゆく。
 一護8、雨竜2の割合で。
 「何か飲みもんくれ」
 水でいいかい。
 「コーヒー。濃いやつ。砂糖いらねえからミルク入れてくれ。」
 黙って雨竜は立ち上がり、キッチンでコーヒーメーカーを起動させる。ぶーんと唸り始めたメーカーを、凝っと見て雨竜は立ち尽くす。
 「インスタントコーヒーで構わねえのに」
 無いよ。
 ふーん、と呟いて一護は言った。
 「偏ってんなあ」
 何が?
 「テレビもCDコンポもねえのに炊事場はやたら充実してんのな」
 ラジカセはあるよ。FM入るやつ。
 「どこ?」
 そこ。
 「つけていいか?」
 どうぞ。
 一護はきれいに並んだカセットからラベルの無い一つを抜き出して、デッキに突っ込んだ。どこかの国のエスニックミュージックが流れてくる。ポリリズム。
 「何だこりゃ?」
 さあ?ラジオでやってたやつを落としただけだから。
 「はあ、そうですか」
 はい。
 一護の前にカップが置かれた。只者ではない薫りがする。
 「やっぱ食生活だけは力入ってんの」
 食欲なくしたら死んじゃうからね。
 「死ぬのか?」
 そうだよ。
 「ふーん」
 まだ続く、延々としたポリリズム。
 
           ※
 
 ラジオに切り替えると天気予報をやっていた。
 「あのさ」
 ――……地方は今夜夜半過ぎから雨が降り出し明日未明まで……
 「帰りたくねえ、つったらどうする」
 ソファアなら貸すけど。
 「まあ、んなもんか」
 他に何か?
 「いいや、別に」
 家族とけんかでもしたのかい?
 「……遊子と」
 妹さん?
 「そう」
 それは君が悪いよ。
 「はあ?」
 思いっきりしかめっ面で一護が雨竜を睨む。雨竜は冷たい目でもう一度繰り返した。
 それは君が悪いよ。
 「何でだよ?」
 何ででも。妹とけんかしたときは兄の方が悪いんだよ。
 ちぇ、と言って一護はテーブルに顔を伏せる。雨竜は俯いて笑ったらしかった。
 妹さんたちが好きなんだね。
 「普通そうだろ」
 さあ?僕には分からないよ。
 伏せた顔から、そっか、と一護のくぐもった声が応えた。
 ――……降水量が一時間に10mmを越すところもありますので十分に……
 「でもいつまでも一緒に風呂に入るわけにはいかねえだろ?」
 ……ごめん、ボクには何とも……。
 「そしたら親父と入るとか言うし。それはやめろそれだけはやめろ!せめて夏梨と入れって怒鳴ったら……オレの分だけ飯作ってくんなくなった」
 雨竜は横を向いて、コホン、コホン、と空咳を繰り返す。
 「笑いたきゃ笑ってどーぞ」
 ……ハハッ…アハッハハハハハハハハ!
 「そこまで笑うんじゃねえよ」
 ゴメンゴメン。……ちょっと待ってて。
 そう言うと雨竜は自室に姿を消して、小さなテディベアを持ってきた。
 どうぞ。
 「ん?」
 これでも差し上げてお姫様のご機嫌をとってよ。
 「そりゃ…サンキュー。って言うか、いいのか貰って?」
 何で?
 「誰かにやるつもりで買ったんじゃねえのか?」
 別に。部活で作ったやつだから。
 一護は複雑な顔で手にした熊を凝っと見ると、ぐるりと回して上下左右裏表からよく見てみた。
 「何と言うか……いや、貰っといて何だけどよ」
 いらないのかい?
 「いやいるけど!……そっか、石田雨竜謹製のテディベアか……」
 雨竜は眉根を寄せ、眼鏡を押し上げた。
 ……いらないなら返してもらえるかな?
 「いやいるけど、って言うかいります、謹んでお受け取りさせて頂きます有難う御座います」
 雨竜はまだ釈然としない顔で一護を冷たく見ている。
 「いや、よく出来てるからよ……ふーん、いい嫁さんになれるぜ、きっと」
 碌でもない嫌味言う暇あったらさっさと帰りなよ。
 悪い悪い、と謝った後、アリガト、と一護が屈託なく笑ったので雨竜は突然いたたまれなくなって立ち上がり、玄関のドアを押し開けた。
 さあどうぞ。早く仲直りしなよ。
 急変した雨竜の態度に戸惑いながらも、一護は熊を掴んで玄関の靴に飛び降りた。
 「ご馳走さん」
 お粗末さまでした。
 「またの時は頼むわ」
 図々しいな。
 「またじゃない時も頼むな」
 俯いてシューズのつま先を玄関のコンクリートに軽く打ちながら一護が言うと、雨竜はぎゅっと口を結んで、それからおもむろに言った。
 知ってるかい?
 「あん?何を?」
 ボクはキミが嫌いだってこと。
 一護がにやりと笑う。
 「お前は知らなかったみてえだな」
 雨竜は怪訝な顔をする。
 何を?
 「あのな」
 一護がくすくす笑う。
 「奇数列の場合、先手が負けるようになってんだよ」
 何の話を……
 してるんだい?と聞こうとした雨竜は咄嗟に思い当たった。
 (あのゲームか!)
 やっぱりボクを引っ掛け……
 「そんなこと言う訳ない、っつたよな。石田」
 一護は皮肉たっぷりの笑顔で雨竜を遮った。雨竜は苦い顔で黙っていたが、溜息と一緒に口を開いた。
 やっぱりボクはキミが嫌いだ。
 知ってるよ。
 と笑って一護は出て行った。