カヴァー V
(律と澪中心で、けいおん!)


 V
 
 
 アイツやめたらどうするんだろうな、私。
 普通にただの幼馴染に戻るのかな。
 まあ元々私は文芸部に入るつもりだったし。軽音部とか入るつもり全然なかったし。
 文芸部の入部希望も書いたのに律が破って……そうだ、アイツが無理やり入部させたんじゃないか。
 「あー腹立つ」
 そうそう、ムギは合唱部希望だったんだし。唯はバンド自体知らなかったし。梓はジャズ研希望だったっけ。
 大体もう4人いるんだから軽音部、廃部にならないし……大丈夫だよな、律がやめたって。ちゃんとやっていけるよな、私ら。みんな寂しがるかもだけど、学校からいなくなるわけじゃないし。ムギも言ってた通り普通の友達になるだけだよな。
 「普通の友達、って何だよ?」
 普通だよ、今だって普通に友達だよ。部活が一緒ってだけで律とは普通に友達だし。和とだって部活違うけど普通に友達だし。仲いいし。
 うん、知り合う切っ掛けが軽音部だったってだけでさ。私とは昔から知り合いだったけど。律が部活やめたってみんな友達、やっていけるよな。
 「……やっていける、よな?」
 そこまで考えて澪は枕に顔を押し付けて呻いた。
 「暗いからいけないんだ、暗いから!」
 そうそう、暗いとこで物思いに耽るとか考えが暗い方に行くばっかりに決まってる!
 澪はベッドから立ち上がると部屋の明かりを点けた。
 「これで良し、っと」
 机の上に置いた携帯が目に入った。
 嘘だよな、電源切れてたとかって。ライブも見に来てくれてたんだし。バックステージにまで会いに来てくれるカチューシャのコとか他にいないし。て言うか絶対律なら見に来てくれてたはずだし!
 「だって友達だし! 幼馴染だし! 一番仲いいし!」
 だから律が軽音部やめても普通に今まで通り付き合っていけるし。休みの日はどうせ一緒に遊ぶし、テスト前にはどうせ『澪しゃん』って泣き付いてくるし。
 「……のはずだし……」
 携帯を手に取った。うん、メールとかもまた普通に遣り取りするようになるし。
 そう思い込もうとしてから、澪は妙な不安を覚えた。
 じゃあ今メール送ったら普通に送り返してくるかな?
 そうだよな、喧嘩してるわけじゃないんだし。ただ、律が何か突然『やめるー』って言い出して私が『勝手にすれば』って言っただけだし。喧嘩とかそんなんじゃないし。
 でも、と澪の不安が形を取り始めた。
 でもあんな話した後、普通にメールして、そして普通にメールが返ってきたら――
 本当に普通の友達になっちゃうな。
 それでいいんだろ? と澪は自分に言って聞かせた。律が音楽やめて、普通に家が近所の友達になるだけだろ。
 苛立って、その苛立ちから逃げ出したくて澪は手早くメールを打った。
 『本当は土曜日、見に来てたんだろ?』
 送信ボタンを押す前にためらったが、自棄になって押した。押した後、押さなきゃ良かった、送らなきゃ良かったと澪は狼狽し動揺し、頭の中が真っ白になって自分の部屋中をぐるぐる歩き回った。
 「あーもう!」
 焦燥のあまり携帯をベッドに投げつけた。居た堪れずに自分もベッドに倒れこんだ。ジリジリと焦れながら返信が来ないことを待った。
 「もうヤダ」
 結局そのまま携帯の電源を自分から切って、ベッドから離れた机に戻した。
 何やってんだ、私?
 そのまま布団に潜り込んで目を閉じた。
 眠れっこない。こんなんじゃ眠れない。
 尖ったままの神経を持て余して澪はそう思ったが、目が覚めると枕元の時計は午前3時過ぎを指していた。起き上がると、恐る恐る机の携帯を手に取って、電源を入れた。
 返信はなかった。
 ふっとため息をつくと、澪は安堵してまた寝なおした。
 
 
 「今日も放課後、来ないつもりかよ」
 律はドラムを叩いていた手を止めると視線を上げた。部室のドアに、澪が立っていた。
 「もういいじゃん、その話。てゆーかお前、昼食どうしてんだよ?」
 「カロリーメイト」
 「なに味?」
 「メープル味」
 「え、そんなん出てんのか。今度食べてみよ」
 律はその言葉で話を切り上げたつもりで、再びドラムを叩き始めた。バスを蹴りながら単調なシングルストローク。ただひたすらエイトフィールのスネアを叩いていた。
 何かいいよな。律は無言でドラミングに没頭しながら思った。なんも考えなくていいし。気持ちいい、ずっと同じリズム叩き続けんのってさ――なんも考えなくていい。
 律の忘我を破ったのは、突然のアンプの音だった。
 「何やってんだ、澪?」
 肩から下げたフェンダーのジャズベースを、澪がシールドでアンプにつないでいるのを見て、律が訊いた。
 「練習」素っ気なく澪が答えた。
 「何で今やんだよ。部活でやれよ、放課後にさ」
 律の不平にも澪は冷淡に応じた。「ここは軽音部の部室です」
 「音楽準備室だろ」
 「じゃあ、お前だって何でここでドラム叩いてるんだよ」
 律は少しムッとして、いいじゃんよ別に……と小声で言ったが澪は何も言わず、弦を軽く調整し始めていた。
 うっさいな、と律は思ったが口には出さず、またドラムを叩き始めた。ほっとけよ……
 すぐにベースの低音が聞こえ始めた。スケールをCから上がっていって、また下がる。それがもう一度繰り返された。
 その間も律は、ベースの音を無視して自分のドラムを叩き続けた。左右交互にスネアを叩きながら、4拍ごとにキック。それをずっと続けていた。
 続けていたがふと、律はドラムを止めた。
 すぐにベースも止まった。
 「何だよ」律が澪をにらんだ。「何でこっちのビートに乗っけてくんだよ」
 「基本だろ、エイトビートは」素知らぬ顔で澪は言った。「基本を練習してるだけ」
 律は舌打ちしたがそれ以上何も言わず、またドラムを叩き始めた。またベースが乗ってきた。
 ちくしょう。
 律はビートはそのままBPMを上げた。ベースは少し戸惑って、でもすぐにそのドラムに合わせてきた。
 今度は律はキックを変えた。ビートの裏を打つバス。少しダンサブルっぽく。
 ベースは少し緩めに音を落としながら着いて来た。
 あ、澪のヤツそう来たか。律はちょっと意表を衝かれた。対抗して跳ねたベースラインで来ると思ったのに。でもこうするとキックの裏打ちがくっきりしてグルーヴ出るよな。
 今度は逆に思いっきりテンポを落とし、そして少しスネアをシングルストロークからシャッフルさせた。
 ベースが歌い始めた。落としたビートに合わせながら、メロディアスなラインを奏でた。スネアのシャッフルが今度はベースラインを際立たせた。
 ドラムの音が、突然途絶えた。
 澪は弦を弾く左手を止めて、律を見た。律はスティックを握った両手を見下ろしながら呟いた。
 「何だよ。着いてくんなよ」
 「いいだろ、別に。せっかく隣でドラム鳴ってるんだから。大体、傍でドラム鳴ってるのにベースだけ、って弾けないし」
 「じゃあ今弾かなきゃいいだろ。放課後にみんなとやれよ」
 「お前こそちゃんと放課後に来ればいいだろ!」
 「うっさいなあ! 私、やめるって言ってるだろ!」
 澪の顔色が変わった。「いい加減に……」言い掛けて、とうとう感情が迸った。
 「いい加減にしろよ律!」
 「いい加減にしてるだろ!」
 「何、言葉尻とって無茶苦茶言ってんだよ!」
 「好きにさせろって言ってんだよ!」
 「好きなんだろ、ドラム! 好きなんだろ、みんなとバンドやるの! それとも私らとやるのが嫌なのかよ!?」
 「そーだよ!」
 言ってしまってから、言ってしまった、と律は悔いた。澪の表情から怒気が急に失せてむしろ泣きそうになるのを見て、律の後悔はますます深くなった。
 「澪だってそうなくせに!」その後悔を塗り潰そうと律は声をいっそう荒げた。「澪だって他のドラムの方がいいんだろ!?」
 「私がいつそんなこと言った!?」
 「言ってないけど! 言ってはいないけど!」
 「ほら見ろ! 律が自分で思い込んでるだけじゃないか!」
 「違うもん! 澪は外バンの時のが楽しそうだったもん!」
 律は自分の言葉にはっとして、澪は呆気に取られた。
 「なんだ」覆い被さっていた重い靄が晴れたように、澪の声が軽くなった。「やっぱ来てくれてたんだ」
 律は決まり悪そうに目を逸らして、黙り込んだ。
 「来てたんならさ、ちゃんとメール返せよな」
 澪が穏やかに言うと、律は逆に不穏さを滲ませて呟いた。
 「全然分かってねーじゃん」
 何が? と澪が問い掛けた時、部室のドアが開いた。
 「何? あんたたち喧嘩してるの?」
 「あ、さわ子先生」突然の来訪者に驚いて澪が言った。「どうしたんですか?」
 「階段のトコからあんたたちの怒鳴り声、聞こえてたわよ」
 「すみません」
 澪は謝ったが、律は険悪なまま応じた。
 「別に喧嘩なんかしてません」
 「おい、律」
 さわ子は笑った。「いつもいつも仲いいわね、あんたたち」
 「良くないです。で、何でさわちゃん居んの?」
 「隣の音楽室でちょっとピアノの練習せてもらおうとしたんだけど……今練習してるの?」
 「あ、いや」澪が答えた。「練習ってほどじゃ……て言うか、先生も普段から練習してるんですか?」
 さわ子は手を振って否定した。「学生時代の友達が結婚するんだけど、式でピアノ弾いてくれないか、って頼まれちゃって」
 「さわちゃんって、結婚式で演奏頼まれるほど上手いの?」
 律の無邪気な質問が少し癪に障ったのか、苦笑いしてさわ子は答えた。「これでも一応、音楽学部卒なんだけど」
 「え、マジで? さわちゃんすげえ!」
 「本当ですか? すごいですね、さわ子先生!」
 二人とも異口同意に驚いた。
 「何かそこまで驚かれるのもまた癪ね。音楽教諭を何だと思ってんのよ?」さわ子は苦笑したまま言った。「じゃあ、練習させてもらってもいいかしら?」
 「あ、はい。私たち大人しくしてます」澪が答えた。
 「やっぱり校舎が古いからねえ。音が漏れちゃうのよね」さわ子は済まなさそうに言った。「ちょっとだけ静かにしてて。お願い」
 そう言うと隣の音楽室へ去って行った。
 「音楽学部卒なのか。さわ子先生って、実は結構すごいんだな」澪がしみじみと言った。
 「でも一番すごいのはさー」
 と律が言い掛けると、澪も先を察した。
 「高校時代ヘビメタやってて、大学の音楽学部に合格したこと、だろ?」
 二人はクスクス笑いあった。
 「律はさ」澪が聞いた。「卒業したらどうするんだ?」
 「さー? 就職じゃね」
 「どこか当てがあるのか?」
 「じゃあ、フリーター」
 「もっと本気に考えろよ」
 「うるさいなー。澪は推薦で大学だろ」
 「うん、多分。推薦もらえればだけど」
 ふーん、と律は呟いた。隣の音楽室からメンデルスゾーンの結婚行進曲が聞こえてきた。
 「友達の結婚式か」澪がぽつりと言った。「さわ子先生、私らと放課後お茶とかしてるけど、友達が結婚する年なんだよな」
 「そんなに年、違わないんだけどな」
 それから結婚行進曲が流れ続けていた間、二人とも何となく黙り込んだ。
 最後のコードが高らかに鳴った。
 やがて足音がして、部室のドアが開いた。さわ子が顔を覗かせた。「中断させて悪かったわね」
 「もういいんですか?」澪が訊いた。
 うん、とさわ子は頷いた。「まだちゃんと覚えてるか確かめただけだから。どうせ本番の式場のピアノで試し弾きしなきゃだし、このくらいでいいの」
 「さわちゃん……」
 律の呼び掛けに、何? とさわ子は柔和に首をかしげた。律は言った。
 「さわちゃんも、早くピアノ弾く方から、弾いてもらえる方になれると、いいね」
 「うっさい!」
 さわ子の一喝に律は慄いた。何でわざわざそんなこと口に出して言うかな、と澪は思ったが当然、口にはしなかった。
 「あんたたちだってねえ!」さわ子の説教が続いた。「すぐにそういう年になるのよ! さあ、置いて行かれるのはどっちかしらねえ? りっちゃんかしら? それとも澪ちゃんかしら?」
 恐ろしくもいやらしい顔でさわ子は笑ったが、それから一息つくといつもの様子に戻り、もうそろそろ昼休み終わるわよ、午後の授業には遅れないようにね、と言い残してドアを閉めた。
 「やれやれ」澪は携帯で時間を見ると、ベースをケースにしまい始めた。「どっちだろうな?」
 「何が?」律が訊いた。
 「どっちが先に結婚するんだろうな、私たち?」
 「澪だろ。モテるもん、澪」
 別にそんなこと無いもん……と、照れながら澪は言った。「でも、もしも私が先に結婚することになったら、さ……律は祝ってくれるのかな?」
 「多分。式には出ないけどな」
 ドラムセットを隅の棚に片付けながらそう言った律の背中に、澪はムッとして視線を投げた。
 「何でだよ?」
 「澪の結婚式とか、ぜってー出ねえ。有りえねえ」
 「だから何でだよ? 何でまだそんな意固地になってんだよ、律?」
 「澪、お前――」背中を向けたまま律は言った。
 ――全然分かってねーよ。

続きます