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その年の三学期は正月八日から始まった。 「よう、ツッチーよう」 うわ、加賀だ、加賀が来てるぜ、と教室に囁くようなざわめきが走った。 囁くようなざわめきだったのに、筒井公宏は露骨に声に出した。 「うわ、加賀だ」 「何が『うわ』だ。何がそんなに嬉しいんだよ、ツッチー」 「そのせりふは自分に言えよ」 「何でだよ?」 「何がそんなに楽しいんだよ。ヒトのクラスにまで来て何がしたいんだ、加賀」 加賀は筒井を見下ろして鼻で笑った。 「馬鹿かお前、もといツッチー」 「何だよさっきからその『ツッチー』って」 「おいおい、ツッチー」 と笑いながら加賀鉄男は首を振り、筒井の頭を撫でた。 「それより今日は俺になんか言うことあんじゃねえのか、ツッチー」 筒井は頭の手を払いのけると何のことか考えようとしたが、それより目の前でヘラヘラ笑う加賀の様子が面白くてぼんやり加賀の顔を見上げてる内に自分もついヘラっと笑った。 「てめえ、もといツッチー。なに人の顔見て笑ってんだよ、だから何がそんなに嬉しいんだよ、ああん?」 「う・わ・わ・わ。いや、何でもない」 再び頭を、今度は強く撫でられて、と言うか揺すぶられて筒井は答えた。 「何でもないことあるかあ!馬鹿もん!だからお前は所詮ツッチーなんだよ」 「何だよそれ……」 頭を揺すぶっていたその手でしっかり筒井の頭を掴んで固定し、加賀はその鋭い両目をさらに物騒な目付きにして筒井の両目を覗き込んでくる。 ごつん。 ついに額がぶつかった。まわりが凍りつく。 「……ほら」 そのまま加賀が凄んだ。 「言うことあるだろ、俺様に!」 「あー……」 「思い出したか、どたまに衝撃与えてやってようやくてめえのそのゼンマイ仕掛けの記憶装置がカタカタ動き出したか」 ひどい言われ様だなあ、と思いながら筒井は目の前の(ホントに目の前の)男に言った。 「明けましておめでとう」 ごっ。 再び額がぶつかり合った。まわりで見てない振りをしてやってるクラスメイト達の間に電気が走ったように、一瞬ざわめきが起こったがすぐに消えた。 「ああ、おめでてえな、全くおめでてえ。正月だもんなあ、そりゃツッチーの頭もめでたくなるわな!」 「何だよいったい……?」 もうそろそろ加賀の相手をするのが面倒くさくなって筒井が聞いた。涙の浮かんだ加賀の目がさらに赤く充血する。涙目になってるのは、額をぶつけてやったときむしろ自分の方が痛かったかららしい。 「わ、分かった思い出すから加賀、そんなに……」 「……今日の日付を言ってみろよ」 激発しそうな感情を押さえ込むような低い声で加賀が囁いた。 「え?」と筒井は呟いて「いちがつようか」と答えた。 「さあ!言え!俺様に言え!」 あ、と筒井は思い当たって呟いた。 「加賀の誕生日か」 「そう!その通り!何で忘れた振りなんかしてんだよツッチー!」 「いや、忘れた振りって言うか…」 「そしてほら、言え!言うんだ!」 はいはい、と前置きして筒井は言った。「オタンジョウビオメデトー」 「いやいやいやいや、そうか、やっぱお前にはめでてえか。俺はお前に祝ってもらっても嬉しくもなんともねえがな!」 とても嬉しそうに笑い、加賀は筒井の頭を解放してやった。 「そうか!やっぱりそうかツッチー!」 「だからなんだよそのツッチーって?」 馬っ鹿お前…とニヤニヤ笑いながら加賀が説明した。 「昨日まではいくら囲碁がヨワヨワでへなちょこで眼鏡なお前でも年上だったからな、一応気を使ってちゃんと筒井って呼んでやってたんじゃねえか」 「ああ……気を使ってもらってようやく呼び捨てなんだ……」 「しかし!今日からはタメ!遠慮なくツッチーと呼ばせてもらうぜ。なあ、ツッチー。嬉しいだろ?何かフレンドリーな感じじゃねえか?」 いや、全くそんなことない、と思いながら筒井は「ああ…」と目をそらして頷いた。 「じゃあなツッチー!元気でな!」 加賀はそういうと自分のクラスに戻っていった。 なんと言うか。 筒井は額をこすりながら考えた。 加賀にとっては「ツッチー>筒井」なのか、と。 ※ 始業式が済んで帰りの廊下、筒井は加賀と鉢合わせした。さっきのように文字通りの意味ではないが。 「やあ、加賀てっちー」 始業式の間中、ずっと考えてた加賀のあだ名を呼んでみた。すさまじい目付きで加賀は筒井を見ると、すさまじい足取りでやってきて筒井の頭をすさまじく撫で回した。 「なんだおい筒井?何ですか今の『てっちー』ってのは何ですか何ですか?」 前後左右に揺すぶられながら筒井は答えた。 「えー。同い年同士だからもっとフレンドリーにって」 「阿呆か。阿呆だとは思っていたがやっぱりお前は阿呆か、筒井。何で俺がてっちー呼ばわりされなきゃいかん」 「じゃあ何でボクがツッチー呼ばわりされるんだよ?」 「はい?」と加賀は眉をしかめてさらに筒井の頭を振り回した。 「何ですか?何ですか今のツッチーってのは何ですか何ですか?自分でつけたあだ名か?」 ああ、やっぱり、と筒井は思った。 三分もすれば飽きて忘れるに決まってんだよなあ、このぉ… 「てっちーの馬鹿」 筒井の呟きに加賀は扇子で筒井の頭をはたいた。 「阿呆なこと言ってねえでさっさと帰るぞ、筒井!」 「えー。一緒に帰るのかい……」 筒井がぼやくと、 「馬っ鹿お前、今日が何の日か覚えてねえとか言わねえだろうな…… おしまい |