相変わらすなボクら
L to R ver.


高校二年―晩夏―屋上


「…変わんないな。」
「うおっ!って、おまえか筒井。おどかすんじゃねえよ。一本損したろうが。」
加賀はあわてて踏み消した煙草を拾い上げると、柵の向こうの排水溝に指で弾いた。
「だったらこんなとこで吸わなきゃいいだろ。」
「それがあんま人来ねえんだよ、ここ。」
「屋上立入禁止だった中学の時は、みんな何とかして入ろうって必死だったのにね。」
「このオレが出入り口の鍵の番号がガッコの創立年だと気付いてからは楽勝だったがな このオレが。」
「昔からそういうことに異常に頭が回るよな。」
やかましい。
加賀は新しく煙草を取り出して言った。
「おう、ところで何のようだ、『伝説の筒井先輩』。」
「ああ、そうだ。将棋部の顧問の先生にお前を呼んで……」
「オレを?何の用事だって?」
「…『伝説の筒井先輩』?」
聞き返すと加賀はそれはそれは邪悪な笑みを浮かべた。
「知りてえか?」
「う、うん。」
畏る畏るうなずいた。
「じゃあ、やっぱ秘密にしとこう。」
「なんだよ!気になるだろ!」
「ほう、知りたいんだな?本当の本当に知りてえんだな?聞いて後悔しねえな?」
加賀は煙草を箱に仕舞うと、とっても楽しそうな顔を近づけた。
「…いや、やっぱりいい。」
悪い予感にあわてて首を振った。
「そう言うなって。あのな、」
「わー!頼むから聞かせないでくれ!」
「いいから聞けって。一昨日、葉瀬中に行ったときにだな……


中学二年―冬―屋上

「…どうやって鍵開けたんだ?」
「うおっ!って、おまえか筒井。おどかすんじゃねえよ。」
加賀はあわてて踏み消した煙草を蹴って脇に除けながら、事の始末を聞いてきた。
「で、どうだったよ?」
「怒られたよ!もちろん!」
ムッとして答えると、加賀はげらげら笑った。
「そりゃそうだな。ウチの生徒じゃない上に小学生を引っ張り出したんだからな。」
「言い出した奴が楽しそうに笑うなよ!大体お前だって共犯者のくせに。」
「ハッハッハ。オレは将棋部だからよ。」
『王将』と楷書された得意の扇子を勢い良く広げると、加賀はそれで気持ち良さそうに 扇いだ。
――気になってたことを聞いてみた。
「…加賀のほうはどうだった?」
「あん?」
「囲碁部の試合に出たことで、将棋部の先輩達や先生に何か言われなかった?」
加賀は扇ぐ右手を止めると左手で扇子をパチッと小気味よく音立てて閉じ、黙ってそれ で額を突いてきた。
「うわっ!」
「だ・れ・が・だ。」
「痛い!ちょっとそれやめてよ!」
「誰が誰に何を言われたって?」
「か、加賀が将棋部の先輩とかに何か…」
フン!
加賀は扇子で小突くのをやめると、それをベルトに突っ込み鼻で笑った。
「おまえと一緒にすんじゃねえよ。と言うかおまえに心配されっと何かむかつく。」
「いいよ、もう。それじやあ。」
額を擦りながら応えた。
「おまえはおまえの心配してろ。結局囲碁部が正式に認められるのはお預けになったん だろうが。」
「うん…でも来年は進藤くんも正式に入ってくれるらしいし…」
「おう、じやああと一人じゃねえか。」
加賀は笑って言ってくれた。
……加賀は…
口に出さなかったけれど、加賀は眼差しで何となく察したらしい。
「オレは将棋で行くぜ。」
加賀は、秋のすじ雲の向こうを見た。
「進藤とお前のお陰で碁への借り貸しも済んだ…よーな気もする。」
「『碁への借り貸し』?」
――ま、
加賀は昇降口に向かいながら背を向けた。
「後はてめえで何とかしろ。『おまえの』囲碁部なんだからよ。」
「うん…」
加賀の背についていきながら言った。
「ありがとう、加賀。」
「何がだ?」
「進藤くんと加賀のお陰で大会にも出れたし…」
「……」
「失格にはなったけど、」
「……」
「あの海王中にも勝って優勝できたなんて…――えっ?」
加賀は足を止め振り返ると、ベルトから扇子を引っこ抜いた。
「ああん?それはあれか?」
またそれで額を小突いてきた。
「な、何だよう!」
「海王戦で一人負けたオレヘの当てつけか?」
「ち、違うよ!」
「いーや。オレには分かったね。」
「違っ!本当に!だからそれはやめようよ!……


中学三年―初夏―屋上

「おう、鍵開いてっから誰がいんのかと思ったら筒井かよ。」
「…うん。」
「珍しーな。『行動だけは優等生』のお前が。」
「うるさいな、『成績だけは優等生』。」
「ヘッ。」
うずくまっていると横にやって来て立ち、加賀は煙草を取り出し火を点け一息吸った。
「海王に負けてガシ泣きしたんだってな。」
「なっ…だ、誰がそのこと?」
「進藤。」
「う、嘘!」
「…つっても別にからかって言ってたわけじやねえぜ。どっちかってえと申し訳なさそ うだったな。自分のせいで全敗したみたいなこと言ってたしよ。」
胸に何かが詰まるような感覚がした。
「…そんなことあるわけないのに。」
抱え込んだ膝に顔を埋めた。
「進藤くんと三谷のおかげで囲碁部も正式な部になれたし、公式戦にも出れたし…足を 引っ張ったのはボクの方なのに…。」
「うんうん。」
遠慮も容赦も、同情もなく加賀はうなずいた。
「お前が一番弱そうだもんな。」
「なっ…まだ進藤くんには勝てるよ!…辛うじてだけど。」
「ほらみろ。」
加賀は『王将』の扇子を広げた。煙草の煙が散った。
「じやあ、もしボクじゃなくて…代わりに加賀が出てたら…どうなってたかな。」
ゴン。
加賀の膝が頭をつついた。
「い、痛いなあ!膝はやめようよ!」
「つまんねえこと言ってんじゃねーよ。」
加賀は扇子を閉じるとそれで風を切って、その先を指し向けてきた。
「おまえが始めた囲碁部だろうが。おまえがやんねえでどうすんだ。」
「べ、別にボクは…」
「進藤もその三谷って野郎も、自分らがゼロから作った場所だから碁を打てんだろうが 。なんもねえとっからここまで作り上げたんだ、――ヘボ主将でも胸張っとけ。」
「…ヘボは余計だ。」
加賀は鼻で笑った。
「オレより1000倍弱えくせに。」
「1000倍は言いすぎだろ!せめて…」
「ほう、『せめて』?」
「…3倍くらい…かな…」
加賀は吹き出すと気持ち良く大笑いし、扇子を広げて扇ぎ空いたほうの手で髪を掻き回 してきた。
「おう、謙虚でよろしい。」
「ちえ。」
吸い終えた煙草を揉み消しながら、加賀は最後の煙を吹いた。
「ま、終わったな。」
「…うん。」
掻き乱された髪を梳きながら答えた。
加賀は煙草の吸殻を、屋上の風が掻き寄せたゴミの吹き溜りに放った。
「じゃ、後は受験勉強頑張るんだな。」
「加賀もだろ。」
「オレはやんなくても大丈夫。」
「どこ受けるんだい?」
「お前と一緒。」
「……」
顔に出てしまったらしい。
「ああん?コラ、何だそのとてつもなく嬉しそうな顔は。そーかそーかそんなに嬉しい か。ええ、この野郎。」
加賀は扇子で額を突っついてきた。
「うう、また三年間…」
「三年間?ん?」
「三年間こうやっていぴられるかと思うと、つい…」
「おいこら、人聞きの悪いこと言うメガネだな、てめえ……


中学三年―早春―屋上

「あ、いた!」
「おう、どうだったよ…ってコラ!しがみついてくんじゃねえ!」
「合格かってたよう!」
「危ねえだろーが!火ぃ点いてんだからよ!」
「数学でミスってもうダメかと思ってたけど…ううっ。」
「泣いてんじゃねえよ。大体おまえ、数学はミスってもミスんなくても点数変わんねえ だろうが。」
「ぐすっ。また三年間この憎まれ口を叩かれるのかと思うと嬉しいやら悲しいやら…」
「いいから離れてくれ。そして泣き止め。」
加賀の学生服を離して、鼻をすすり上げた。加賀はそっぼを向いて煙草をふかしていた 。
「つーこたあ、オレも合格かってたんだな。」
「ん?加賀は見てこなかったのかい?」
「オレの場合見なくても分ってんだよ。」
ちえ。
笑って舌打ちしてみせると、安堵でまた涙が出てきた。
「あーあ。ヘボでへなちょこで泣き虫でメガネで…よく囲碁部の連中も見捨てなかった もんだな。」
「メガネは余計だろ!」
その眼鏡を押し上げて目頭をこすった。
「そうだ、囲碁部って言えば進藤くん、院生試験に合格して頑張ってるみたいだよ。」
「ほう…」
「三谷も…ちょっと意地張ってるけどきっと戻ってきてくれると思うし。」
「出て行きてえ奴は行かせときゃいいんだよ。大体人の尻馬に乗んなきゃ碁を打てねえ ってのが気に食わねえ。」
「…それでも、三谷が入ってくれたから試合にも出れたし…」
「ケッ」
加賀は衛え煙草を吐き出し踏み消した。それを跨ぎ越して行く。
「後は卒業式だけだな。あれがかったるいんだよな、ちきしょう。」
「加賀。」
呼ぴ止めると、ああ?と加賀は振り向いた。
「ありがとう、最後まで。」
「…何だよ?」
「あの時、たぷんボク一人じゃ…進藤くんを後押ししてあげれなかった。」
「あん?あんなのただの面白半分だろ。」
「それでもきっとボクだけだったら…加賀がいなかったら…進藤くんはきっぱりと囲碁 部をやめて前に進めなかったと思う。」
…ふーん。んなもんかねえ。
加賀は頭を扇子で掻いて呟いた。
「あ、そうだ。最後に聞いていいかい?」
「あん?」
「あれだけ囲碁嫌いだったくせに、どうしてあの時大会に出てくれる気になったんだよ ?」
「またえらい古い話を…」
加賀はぼやくと、面倒くさそうに一年半前の記憶を手繰り始めた。
一年半前。
『王将』の着流しを着て碁盤に煙草を押しつけた加賀鉄男。まだ小学生だった進藤ヒカ ル。一人きりだけだった囲碁部。
(『団体戦のメンバーが決まったぜ。オレにおまえに、コイツだ。』)
あれからいろいろあって、いろいろ変わった。
「ま、あれも面白半分だろ。進藤にちいとばっか興味があっただけさ。」
「そっか…」
「それと後ぁ…あれだ、なんつーか区切りっつーか…」
語尾を紛らわすように、小声で加賀が眩いた。
「区切り?」
いや、だからよ…
加賀らしくなくはっきりしない。
黙って待ってると、もごもご喋り始めた。
「昔よ、したくもねえ囲碁無理矢理やらされて塔矢アキラには恥かかされて…死ぬほ どこの二つが嫌いになってだな…」
落ち着きなく扇子で首筋を掻いている。
「コンプレックス、ってほどじゃねえが…なんかすっきりしねえまんまいたら、ヘボの くせして一人で囲碁囲碁うるせえメガネがいてよ…」
「加賀…」
「…んで、面白い奴がもう一人出てきたから、つっかえてんの払拭すんのにちょうどい い、利用してやれって思ったわけだ。」
「か、加賀あ…」
「んだよ、なんか文句あっか。」
扇子を勢い良く開いて、加賀は文字通り開き直った。
「やっぱり自分の都合だったんだな…」
扇子を閉じると額をつついてきた。
「てめえ、筒井のくせに生意気言ってんじゃねえよ。」
「や、やめろよジャイアン。」
「誰がジャイアンだ、この野郎!」
「痛い、痛い。やめってってぱ!…ああ、もう。これがあと三年間続くんだ…」
「うるせえ、そんなら一生つきまとうぞ!……


高校二年―晩夏―屋上

「……と言うことがあったわけだ。」
「……。」
「どうした?『伝説の筒井先輩』?」
「か…加賀っ…」
「なんだよ、囲碁部再建に手え貸してやったわけだろうが。」
「それはそうだけど…」
「ほらみろ。」
「だけどもう葉瀬中には二度と行けないよ…」
「別に行かなきやいけねえ用事があるわけじやねえだろう。」
「うん、それは…」
――そうだね。
「まあでも、あれだ、」
少し寂しそうな顔をしてしまったのだろうか。加賀は急いで付け加えた。
「別に用はなくても進藤たちがいる間に一度くらい顔出しとけよ。そ の小池ってのの口振りからすっとあいつら会いたがってるみたいだったぜー。」
「そ…っかなあ。」
「おう。『伝説の筒井先輩』サマが来てると分かったら三年を呼びにすっ飛んで行くと こだったからな。」
「で、それをじゃましたんだね。」
「当たり前だろうが。筒井ゴッコがぱれちまうだろ!」
「な、何でそこで威張るんだよ!」
「るせーな。慕われてるだけましだろうが。オレなんか帰り際には『もう二度と来ない でくれ』ってオーラが将棋部にたちこめていたぜっ!!」
「それは分かるような気が…」
「て、てめえ、相変わらずヘボでへなちょこで泣き虫でメガネのくせに!」
「メ、メガネはいいだろ、別に!…って、あいたっ!やめろよ!それ本当に痛いんだっ てば!その木の部分が、って加賀、お願いだから!やめてよ………


おしまい