|
真撰組監察、山崎退が副長、土方十四郎の断末魔の如き声を聞いたのは、奇しくも土方の部屋へ書類を届けに上る途上であった。 「どうしました土方さん!?」 手にしていた書類を屯所の廊下に散らしながら顔色を失い土方の部屋へ駆けつけた山崎は、畳に両手どころか頭まで擦り付け、苦しげに身を震わせる土方の姿を目にした。山崎は土方の名を叫びその傍へと走る。 「山崎……」 山崎をみとめた土方は、苦悶の表情を浮かべ息も絶え々々、口を開いた。山崎は血相を変え土方の肩を掴む。 「どうしたんですか!? 土方さん!」 「スーパーへ……」と、土方は掠れる声で言った。「スーパー行ってピューキーマヨネーズを買い占めて来い!」 唖然、と、山崎はなった。土方の言わんとすることが分からないのだ。 「早く行け! 手遅れになっても知らんぞ!」 そういわれても山崎退、それでも状況が理解できない。ただ土方は、早くピューキーマヨネーズを買いに走れ、と繰り返すばかりだった。どうしたのだ、土方に火急の事態が起こったのではないのか? ふと、山崎はうずくまる土方の下に新聞を見つけた。 「どうしたんすか、土方さん?」 幾分平静を取り戻して問う山崎に、土方はその新聞を叩き付けんばかりに見せた。 「どうもこうもあるかァ!」 山崎は、そろ、と寄って、土方の指す記事へ身をかがめて読んだ。見出しに、こうあった。 『ピューキー労組、完全ストへ』 記事に拠ると大手食品メーカーのピューキー株式会社の労働組合が待遇改善を求め、向上のラインを完全ストップしてストライキに入ることも辞さないらしい、と言うことであった。 「あの、それで……?」 そのもっともであるはずの問いに土方は新聞を畳みに叩きつけ、山崎の襟首を掴み上げた。 「ピューキーの生産止まったら俺のマヨネーズはどうなると思ってんだテメエ?」 「他のメーカーのマヨネーズ買ったらいいんじゃないですか?」 「マヨネーズっつたらよォ」当然の山崎の答えに、土方は凄んだ。「ピューキーマヨネーズ以外何があるってんだ?」 はあ……とマヨネーズには疎い山崎が応じると、土方は再び命じた。「ピューキーマヨネーズ買占めてこい! あるだけだ!」 そんなちょっとストライキが起こったくらいで店頭からマヨネーズが消えるものか、と高を括っていた山崎は気も進まず億劫に、のたり、とスーパーへと足を運んだ。店頭で店員に訊く。 「ピューキーマヨネーズ、どの棚にありますかね?」 返ってきた答えは、山崎の安易な見通しが甘かったことを示すものであった。 「ピューキーですねえ。スト騒ぎで買い占められて、店頭から消えちまいましたよ」 事、ここに至り、山崎は事態の深刻さをようやくにして理解した。土方愛用のマヨネーズの在庫が市場から消えてなくなってしまっているのである。悪い予感に急き立てられ、山崎は走った。他のスーパー、コンビニ、はては卸問屋にまで走ったが、ピューキーマヨネーズは売切れてしまっていたのだった。 この事実を土方に何と告げれば良いだろう? 山崎退はその瞬間、何が起こるであろうか思い浮かべ、胃痛を覚えた。 「すみません土方さん、やっぱ売り切れてました」 己が身に八つ当たられるであろう土方の怒りを可能な限りかわそうと、屯所に帰った山崎が卑屈に愛想笑いを浮かべながら告げると、土方は、あ? と一言だけ放った切り、しばらくは口も聞けない有様であった。 「……も一回言えや、ザキ」 絞り出すように土方は言った。山崎は愛想笑いのままもう一度繰り返すしかない。 「ピューキーマヨネーズ、どこもかしこも売り切れてました」 「どこもかしこもってなァ、どういう意味だ?」 「江戸中のスーパーもコンビニにもありませんでした。問屋にも行ってみたんですがね、しばらく入荷の見通しは無い、とのことで……」 山崎は土方の怒号を覚悟したが、土方は口を開いたままふい、と後ろを向き、そのまま膝を折って畳の上に崩れ落ちた。身を震わせているところを見ると、嗚咽しているらしい。 「なんてこったぁ……」と土方は喉の奥から声を震わせた。「1ダースしか買い置きねえぞ」 それを聞き山崎は、アンタいくつ買い置きしてんだよ、との言葉を呑み込みつつ安堵し言うのであった。 「じゃあ当分は持ちますね」 ボケェ! と土方は涙ながらに振り返りつつ山崎に怒声を浴びせた。「3日しかもたねえよ!」 「アンタ毎日どんだけマヨ食ってんだ! もうそれ病気ですよ! 立派な依存症ですよ! 黄色い車の名はほにゃららですよ!」 「じゃかあしいボケェ! テメエが早く買いに走らねえからだろーがァ!」 「んなこと言っても俺の仕事、監察であってパシリじゃないんですけど」 「真撰組の監察と書いてパシリと読むんです! あぁ……あー! 俺は一体どうすればいいんだ! いや、俺はどうなっちまうんだ!?」 そう叫ぶと土方は畳の上をのたうった。 「さっきからうるせぇですぜィ。禁マヨしろよマヨ方マヨ四郎」 襖を開けて現れうんざりした様にそう言い放ったのは、真撰組一番隊隊長、沖田総悟であった。 「丁度いい機会でしょうが、土方さん。アンタ局中で何て言われてるか、知ってますかィ? アンタを斬ったらマヨネーズ色の血が吹くって言われてるんでさァ」 「そんなん言ってるのはテメエだけだろうがァ!」 すみません、俺や他の隊士も密かに言ってます、との言葉を呑み込んで山崎は黙っておいた。あとドS皇子の血はきっと容赦なく青色に違いないとも言ってます、との言葉も呑み込んでおいた。 そんな事は窺わずに沖田は、おっと、いけねえや、と懐から何かを落とすとそれを踏みにじった。「食い物粗末にしちゃいけねえやな」 沖田の足下で泥に塗れた物、それはピューキーマヨネーズであった。 「ああ! テメエ!」と土方は地べたに這いつくばり泥だらけのマヨネーズを啜らんばかりであったが、沖田総悟の己を見下す視線をみとめて我に返った。 「沖田……買い占めやがったなァ、テメエだな!?」 「さあ、何のことですかィ?」 勝ち誇った嘲笑を浮かべ自分を見降ろす沖田を見て土方は確信を持ったが、如何せん、この土方十四郎、沖田総悟に下げる頭だけは持ち合わせていない。それに例え己が売ってくれるように懇願したとしても、法外な値を振っかけて来ることは明白であった。 「あの、副長」 先ほどから影の薄さの為蚊帳の外にいた山崎が、土方に語り掛けた。 「マヨネーズの一つや二つ、誰か女に作ってもらったら如何ですかね?」 「え? マヨネーズって自作できんの?」 驚愕を隠せず、土方は山崎に思わず問うた。 「基本、酢と卵とサラダ油ですからね。副長ならそのくらい作ってくれるイロの一人や二人いるでしょう?」 土方十四郎、実は中々の男前である。しかも幕府直属の真撰組、その副長。慕う女の数人いてもおかしくはない。 しかし土方、武州から江戸に出てくる際、沖田総悟の姉こと沖田ミツバを振り切り置き去りにしてきたにも拘わらず未練たらたら、ミツバへの恋慕の情絶ち難くこの男、江戸に出てきて以来情婦を作ったことはなかったのである。 「うん、まあね。いるけどね、そういうことやってくれる女いるけどね。けど頭下げてマヨネーズ作ってくれて言うのもアレだしね。だからその……」 と言い淀んだ後、土方は言い切った。 「俺、自分で作るわ。おい、厨はどこだ?」 「そんなもん、むさい男だらけの屯所にあるわけ無いでしょ」 山崎の言葉に土方は意表を衝かれた。 「じゃあ俺らが毎日食ってる飯はどうしてんだ?」 「仕出しですよ。出入りの業者に頼んで作ってきてもらってますよ」 「おいィ! そんなぬるいセキュリティで大丈夫なの? 業者と攘夷浪士が組んでこっそり薬盛ったら俺ら死んじゃうんじゃね?」 「大丈夫でさァ」と沖田が口を挟んだ。「俺は土方さんが食うのを見届けてから箸つけてますから」 「なに俺を毒味に使ってんだテメエ!」 実は俺たち隊士みんな、土方さんと近藤さんが食うのを見てから箸つけてます、との言葉を呑み込んで山崎は二人の仲裁に入った。この山崎という男、言いたいことも率直に言えず呑み込んでしまわねばならないこと多き人生を送っているのである。男は黙って……である。 「まあまあ……しかしマヨネーズを自作するにしても、作る厨が無いってのはどうしましょうか?」 土方は考え込んだ。いや、実は考え込むまでもなく一つ、宛はあった。だがその台所を使うには、使わせてもらえるよう頼むには、土方の矜持をほんの少しばかり曲げねばならなかったのだ。だが…… 「しょうがねえ。背に腹は代えられねえやな」 土方は腹を決めると屯所を出て、かぶき町へと向かった。 つづく |